自分のためにサッカーをする
サッカーは誰かのためにしているわけではない
サッカーを始めた時、どんな風に始まるのだろうか
小さい子供が、お母さんのためにやろう!
みんなのためにやろう!ということからサッカーを始めるのは、まずないと思う
あったとしてもすぐ辞めていく
サッカーの指導者が、試合中チームのために走れ!みんなが頑張ってるからお前も頑張れ!チームみんなが届けてくれたボールを大切にしろ!
などという指示を出すことがある
これははっきり言って、綺麗事にしか聞こえない
指導者らしいことを言わないとという考えや、ボールを奪われないために何が足りなくて、何が必要だったかがわからない指導者が苦し紛れに言う言葉であると考えている
子供が、みんな頑張ってるから自分も!これはみんなのボールだから大切にしなきゃ!と考えるだろうか?
考える子はごく少ないと思うし、口には出していてもコーチに怒られるから、言っとこ。というパターンが多いと思う
では、何のためにサッカーしているのか
それは自分のために他ならない
自分がサッカーしたいと思ったからする
自分がドリブルしたいと思ったからする
自分が上手くなるために、自分が勝ちに導ける選手になるために、走らないといけないしボールを奪われてはいけない
結局は自分のためにサッカーをやっている時が1番良いプレーをする
実際自分のためにサッカーをしていない子はやっぱり活き活きしていない、キラキラしていない、ギラついていない
そういう子を作っているのは、紛れもなく大人であり、指導者である
指導者の美学や、指導者であるというプライドから出るものなのか
単に指導者としての器がないのか
様々な理由があると思うが、子供たちのサッカーを奪ってはいけない
子供達は自分のためにサッカーをしているのである